2015年10月28日水曜日

魂のパッション〜すべての「底」〜







広島出張中に、Facebook石巻Facebookお友達つながりから偶然出会った動画。

今井絵理子さん(元SPEEDですね)の活動はうっすらと知ってはいたが、彼女のFacebookページの動画集を見ていると、ずいぶん感動してしまった。

今井さんの、聴覚障がいをもつ子どもさんのことは少し知っていたものの、一連の動画(支援学校訪問やお子さん出産時エピソードや障がいについての紹介番組も)を見ていくと、彼女をとらえる情熱/パッションというものが僕にも少しわかるような気がした。

その情熱の源泉は、陳腐ではあるが、子どもさんの「笑顔」かな。

この動画とは別のドキュメンタリー(ここにFacebook動画集があり、NTV番組タイトルをクリックすると簡単に飛べる→https://www.facebook.com/ErikoImaiOfficialPage/videos)を見ると、出産から現在の小学校低学年あたりまで追うこともできる。

出産後離婚も経て、様々な出来事が彼女を日々迎えているようだ。細かいことは僕にはわからない。が、芸能活動の本格再開も伴い、いろいろな批判に晒されようが、自分の信じる道、情熱、パッション、パレーシアに従って突き進むその姿の背景には、子どもの笑顔を徹底的に信じるという、「信頼」の肯定性が感じられる。

また、聴覚のハンデを超えて、音楽というのは、空気やリズム、身体の動き、これらを全員で共有する場の振動、人々の表情、ひとことで言うと「生命の跳躍」みたいなのが、曲という枠組みに嵌めこまれているということなんだなあと再認識もする。

上に貼り付けた動画などでそのことがわかる。今井さんの歌のうまさも光るが(別の動画参照)、この「声が空間を突き刺す」感じが、たぶん子どもたちにも(今井さんの子どもにも)伝わるのだろう。

突き刺すというか、突き刺しながら包むという感じかな。

僕自身が「父」になる前は、こうした感覚もなかなか持てなかった。これらの映像も彼女自身のプロデュースの一環として捉えていただろう。

そうではなく、親というパッションがあるんですね。それは、無条件の肯定であって、それ以上分析できない徹底的な「底」なんですね。★

2015年10月24日土曜日

「出会い」が遠くなった

昨日から僕はNPO法人TEDICの記念イベントで宮城県・石巻市にいるのだが、この2日間の滞在でたくさんの人達と語ってきて思ったのは、

人の「優先順位」というものは本当に変わる

ということだった。

僕は知り合いからも煙たがれるほど、長らく「出会い病」みたいなものにとらわれており、それは哲学(というかデリダの)の「まったくの他者tout autre」という思想を尊敬していたからであった。

自分ではコントロールできない部分で我々は」「他者」と出会う。その出会いは無意識的であったり否応なきものかもしれないが、そこで沸き起こる「出来事」を何よりも尊重しなければいけない。

ポストモダン哲学では唯一の規範かもしれない、この「他者との出会い」をざっくばらんに自分なりに訳して受け入れ僕はこれまで生きてきた。

日々出会う人、そこで自分とは違う考え方を持っている人を何よりも尊重しなければいけないと。
それが「応答責任」であると。

が、この頃はその規範意識がすっかり薄くなり、「出会い」よりも「1人」、「出会い」よりも「休息」が大事になっている。

僕の仕事は子ども若者分野であり、そこで仕事する人たちは30才以下の若い人たちが多いことから、この感覚はあまりシェアできない。

この頃は共有できない孤独感よりも、1人でこうしたテーマを考えテキスト化するほうに意義を感じたりする。プルーストが「失われた時を求めて」を書いた気持ちが僕もようやくわかるようになりました。

今から、TEDICの若者たちが集まる打ち上げに僕も参加する予定だ。
参加してすぐホテルに戻るだろうが、これがいま僕にできる最大のレスポンシビリテだなあ。★