福島県浜通り、「幽霊」のいないゴーストエリア


■父のゴースト

僕はたくさんネット記事を書いているからここで書いたかどうか忘れてしまったけれども、僕にとって「幽霊」とはポジティブな響きをもっている。

幽霊という他者は、我々が生きている間、常にあちこちに偏在している。

それは、過去にも未来にも偏在する。
また地理的にも、それはロシアにもソマリアにもコロンビアにもメキシコにも、当然香川県◯◯市(僕のふるさと)にも大阪市西成区にも偏在する。
また、ネット上のFacebookページにもTwitterにも偏在する。

幽霊はあらゆるところに偏在し、いまある我々になんらかの影響を与えている。

その声は、我々の記憶のどこかにとどまっており、それはたとえば僕の父親が病気で死ぬ1ヶ月前に発した声として僕に痕跡として残っている。

「俊英、わしはもうダメかもしれん」

と、死ぬ寸前の父は浮腫で腫れ上がった顔を歪ませながら笑い、僕を見上げたものだ。

その表情に対して僕はさすがに過去の恨みつらみを言う欲望には襲われなかった。
その浮腫の笑みはいまだに僕を「ゴースト」としてつかみ、そのゴースト=幽霊の声に応えるべく(差別主義者の父ではあったが、倫理的には高く、その倫理基準を僕に伝えてくれたことには感謝している)、僕の日常はある。

■パリのゴースト

たとえば、亡き父というゴーストひとつとっても、それはいまだに僕を捉えて離さない。

肉親の父にしてこうだから、あらゆる幽霊の声が日々の僕を「痕跡」として捉える。

有名人では、最後の授業にパリにまで僕は潜り込みに行ったもののその前に死んでしまったデリダの声、70代で自殺した今世紀最大の肯定主義者ドゥルーズ、HIVで亡くなってしまた本物の知識人フーコーらをはじめとして、これでもかというほど、それら幽霊はポジティブな存在として僕を包む。

だから僕には、現実の他者は基本的にそれほど必要ない。
パリの墓地にも、香川県◯◯町の墓地にも、そうしたゴーストであり幽霊であり他者である存在は僕を包み込んでいる。

ある意味、「ソーシャル・インクルージョン」とは、僕にとってはまずは他者=幽霊かもしれない。

■ゴーストを消す「出来事」

が、今日、福島県浜通りを貫く国道6号線を北上して感じたのは、本当に「ゴースト=他者=幽霊のいないゴーストエリア」という領域があるかもしれない、ということだ。

厳密に言えば、そこには2,000年以上に渡る歴史がありゴーストが存在しているはずなのだが、そして東日本大震災後もきれいに日々清掃される各地の墓地からはそうしたゴースト=過去の存在は人々の意識にしっかりと痕跡化しているはずなのだが、僕には、直感として6号線に「他者」がいなかった。

志賀直哉の短編小説に「自分はさびしかった」と表現する必殺フレーズがあるのだが、あの「さびしい」と、今日の福島県浜通りに漂う雰囲気は似ているような気もした。

あるいは、村上春樹がノモンハン事件あとのモンゴルを訪れた際に綴ったエッセイの行間に滲み出ていた虚無感ともそれは似ているかもしれない。

その感覚は、歴史はあり過去の他者=幽霊はいるはずなのだが、それを遮る圧倒的「出来事」があったということだ。

■「ゴーストエリア」の出現

その「出来事」は完ぺきにネガティブな出来事だ。出来事には通常「他者=我々を包み込む他者」が含まれ、幾分かはポジティビティを我々にもたらしてくれるものだが、中には絶対的に否定的な出来事があるのかもしれない。

その、他者=幽霊をも押しつぶす圧倒的に否定的な出来事が5年前の地震と津波と原発事故であり、それ以降続くゴーストエリアの出現ということなのかもしれないと僕は今日思った。(下写真は、遠くに福島第一原発)★

遠くに福島第一原発