ピョートル・ヴェルホーベンスキーと首猛夫〜『悪霊』の魅力

今日スタッフと話していて、
「なぜ田中さんはそんな感じなんですか」
という質問があった。

そんな感じとは、僕の日々の振る舞いがドライというか割り切っているというか人間関係を大切にしていなというか「悪魔的」というか、そういうスタイルでなぜ日々をやりくりできるのかということなんだと思う。

文章でしか僕を知らない人は、文章と現実のギャップに驚く人が多く、
「現実の田中さんに会わなければよかった」
と言われたことも何回かある。

それだけ、僕はどうも何か「変」らしい。

意図して割り切っているわけではないのだが、どうも 根本的「信頼」のようなものが、「土台」として僕にはないのだそうだ。

その原点を考えると、やはり、ドストエフスキー『悪霊』に出てくるピョートル・ヴェルホーベンスキーと、埴谷雄高『死霊』に出てくる首猛夫に行き着く。

この両書を読んだことがある人はもはや少ないだろうが、僕は高3(悪霊)と大学1年(死霊)で読み、決定的に影響を受けた。

革命がテーマである両書の、最大のキーパーソンである2人は、社会や集団を徹底的に撹乱して最後は敗北していく。
そのあり方が、10代後半の僕にとってはものすごくカッコよかった。

それこそ「ロック」だった。
もはや誰もわからないかもしれないが、僕の原点の一つなのです、サリンジャーのシーモア・グラスとともに(シーモアはまったく違うタイプ)★

亀山訳『悪霊』。旧訳も渋い。