50才の世界①

前回の「なぜ太るか」は1回で終了、今回から50才の世界シリーズに変化させてみた。

というのも、食にしろ回想モードにしろ、どうにも最近の僕は「峠を超えてしまった」感があり、それは言い換えると「現役ではなくなった」ということだ。

僕は小さな小さな法人の代表だから仕事的にはまだまだ現役ではあるのだが、世間の50代は管理職を外されたりしてのんびり会社員を満喫している人も多い。

この人たちはスペシャリストとしてその分野で現役感はあるのだろう。
けど彼らの話をよく聞いていくと、もう迷いもなくなり、同時に仕事についての目標も現場的なものだけになってしまい、ヒリヒリ感がすっかりとれてしまっていたりする。

組織の真ん中に残っている50代はさすがに現役だが、多くの周縁50代はこんな感じで、のんびり過ごす。

僕は、法人が食べていかなければいけないので微妙にヒリヒリ感は残っているものの、なんというか、だいたい「1周した」感があり、あと体力が著しく落ちたこともあって、たとえば本や映画やアニメやもろもろ、僕を僕として成り立たせていた文化系作品ともすっかり遠くなっている。

哲学はいまだにこだわっているが、哲学本は一生もつから別にあわてて買う必要もない。たとえば『ミル・プラトー』(ドゥルーズとガタリ)1冊あれば、一生読むものに困らないくらい、哲学的名著は難解だ。

文章一つ書くのも、別に調べたりせずとも今はネットで簡単に必要事項は見つかるし、これまで読んできた知見の中でだいたい書ける。

要は、物事に対する問題意識だけ枯らさずになんとか生きていれば、支援もマネジメントも執筆も、だいたいは前線に立てる。
こんなのを含めて、なんというか、「50才の世界」というものが広がっており、僕はこれまでたくさん読書をしてきたが、こんなこと誰も書いてなかった。

そうだよなあ、文学も哲学もアートも、みんなある意味「思春期」を生きている。当然、ロックも。そんなのばかりに接してきたから、僕は知らないのは当たり前。
こんなのだったら、『美味しんぼ』海原雄山モデルの北大路魯山人とか、もっと読んでたらよかった。★

かぁーっ、士郎!!