2016年7月29日金曜日

なぜ太ってしまうのか①50才

50才を過ぎ、結局「運動しないことには痩せることは無理だな」という結論にたどり着きある。

これまでは、食事制限で余裕で体重は減ってきた。
が、ここ2年ほどはよほどの食事制限をしないことには、体重は減らない。

結論はこのブログでも言及するように、糖質(炭水化物)制限ダイエットなのだが、それもやりすぎると某政治家のように命をおとす。

ごはん・パン・麺類・粉モンを完ぺきに抑制する糖質制限は、逆に身体に悪い。
が、それらを少しでもとると、体重は余裕で1キロ程度は増えてしまう。

つまりは、食事の多少の上限によって、体重の大きな増減につながってしまう。
これが40才代であれば、もっと食事制限で体重コントロールが容易だった。が、50才を超えると、そんな数学的には体重は管理できない。

身体はもっともろく、単純なことで単純に変動してしまう。

大きな視点でみると、たぶん、ヒトは50才程度が「寿命」なんだと思う。それ以上バランスよく生きるのであれば、よほどバランスをとらなければいけない。

たとえばアルコールを制限する、タバコは吸わない、運動は毎日する、たっぷり睡眠時間をとる等、平均的ヒトであれば平均的生き方かもしれないが、僕のような適当な人であれば、かなりの「ムリ」の生じる生き方だ、それは。

だから、中上健次とか、ムリしない人々は早死していった。これは、50才くらいで君たちは死んでいいんだよという、大きな大きな存在からのシークレットメッセージかもしれないなんて、微妙な感慨に浸るこの頃。★

枯木灘。まあ、長生きするよりはこんな感じで生きろと。



2016年7月27日水曜日

どんな「間食」か③

どうも頭髪問題に引っ張られて「間食」の重要性を忘れがちになるが、1日1食ダイエットの最大のポイントは1日1食ではなく、「1食以外は間食」ということだ。

1日1食はいまやタモリもタケシも実践する食生活のようだが、じっくりそれらのインタビューを読むと誰も1日を1食のみで、つまりは食べ過ぎても1食1,000キロカロリー程度ですませているわけではなく、それ以外でも結構食べている。

食べているといっても、ケーキとか激甘カフェオレばかりではなく、バナナとかヨーグルトとか、それなりに栄養バランスを考えながらの間食だったりする。

つまりは、「主食」=炭水化物を極力廃した食生活が「栄養バランス」であり、1日の総摂取カロリーと糖分とカロリーと塩分を常に配慮するのが「1日1食」ダイエットということになる。

痩せたいということではなく、「これ以上肥満になりたくない」という欲望が1日1食という旗印におびき寄せられている。

僕が不思議なのは、貧困世帯にあるハイティーンでも、これらのバランスが狂うと肥満になるということだ。
ダイエットを常に気にしていたとしても、摂取カロリーの不思議さはアンダークラスの人々を翻弄する。★

ごはん(主食)は最大の敵

2016年7月24日日曜日

どんな間食か②ビタミンCと頭髪問題

僕の父親は62才で飲み過ぎで死んでしまったが、50才頃にはすっかり頭髪が少なくなっていた。
だから遺伝的影響を確信していた僕は、52才になる今頃は父親と同じようにすっかりツルッツルだと予想していた。

だが予想は外れ、髪は残っている。
それはそれでまあよかったのだが、遺伝とは別に、加齢に伴う薄毛がこの頃は目立つようになってきた。

年相応なのでそれはそれで諦めているものの、この頃よく聞くのは「ビタミンC」効果だ。

ビタミンCが、薄毛を止めるらしい。あるいは育毛効果があるらしいということが最近はよく言われており、僕もいくつかのネット情報を熟読してみたところ、なんとなく本当のような気がしている。

ただしビタミンCを飲んだり食べたりしても効果は少なく、頭に直接散布する必要があるんだそうだ。
その散布剤みたいなのが6000円くらいで宣伝されており、またぞろ出てきた育毛剤、とは思いつつも、長年頭髪問題を研究してきた僕としてはやはり気になる。

以前、発売直後のリアップに飛びつき、「高血圧の方は避けてください」の注意書きを守らず大量散布したところフラフラになったという前科があるにもかかわらず、ビタミンC育毛剤にクラクラして憧れる毎日です。

あ、「間食」からズレてしまった。★

これはビタミンCではなくリアップ。水谷豊もにっこり。大正製薬HPより。



2016年7月22日金曜日

どんな「間食」にするか①グミ

油断するとこのドーナツぶらぶら息抜き日記を忘れてしまう。
気が付くと、前回からもう一週間くらいたっている。

今週は(といっても木曜になったが)、「間食」を考えてみる。

僕は1日1食ダイエットを追求するうちに、「1日オール間食ダイエット」に行き着いた。

毎回200〜400キロカロリー程度のものを2時間おきくらいに食べ続けると、19時くらいになると2000キロカロリーあたりに到達する。
ここにアルコール400キロカロリー程度が加わると2500キロカロリー程度になり、ちょうどよくなる。

お休みの日や保育園のお迎え担当の日はアルコールは摂らずにコメを食べる。
これは最近流行りの糖質制限ダイエットでもあるのだが、コメ・パン・粉モン・麺類を避け続けると、多少暴飲暴食になったとしても、かなりの体重安全圏にとどまることはできる。

ただ、間食の1回あたりの量が油断すると多くなり、1日の摂取カロリーが知らず知らずのうちに多くなっていたりする。

食事を考えることは、人間の欲望の拡大の実態と向き合うことになりそれなりに楽しいが、量は自然に増えることはあっても減ることはない。不思議です。

あ、グミのことを書くのを忘れた。「ビタミンCと頭髪問題」にも僕は関心があり、それとグミは大きく関係するので、明日につづく。★

こんなんとか(ネットから)



2016年7月15日金曜日

印象的だった街③阪急・石橋

僕が阪大の臨床哲学をきちんと学んだのが35才前後で、ラッキーにも阪大豊中キャンパスは自宅から阪急電車ですぐだった。

当時はまだ鷲田清一先生が「教授」で、これまたラッキーにも毎週先生のナマ講義を聞くことができた。

また社会人もたくさん参加していた金曜日6限(18:00〜)の臨床哲学の授業が終わったあと、最寄り駅の石橋までみんなでぞろぞろ降りてきて、もう店の名前は忘れてしまったが、馴染みの居酒屋で「議論」できて、すごくタメになった。

それ以外にも、大学院終了時に、鷲田先生・中岡先生・本間先生の三巨頭に招待されて、これまた石橋の超庶民的居酒屋で美味しい料理を食べたこともいい思い出だ。

また本間先生を中心に、よく石橋付近のカラオケに行き、僕はよくフリッパーズ・ギターを歌ったなあ。
それもいい思い出。

予定では大学院のあと博士課程も行こうと思っていたのだが、修士論文にあまりに入れ込んでしまい、博士課程入学願書を提出忘れたのもいい思い出。
それのおかげで今のドーナツトークを始めることができたし、終わりよければすべてよしですね。

阪大の大学院は本当に行ってよかった。みなさんも、社会人になってからの大学院はおすすめです。★

石橋。ごちゃごちゃしてる(ネットより)



2016年7月13日水曜日

印象的だったあの街②大阪府池田市「五月山の大文字焼き」

僕は最初の「ドーナツトーク社」(90年代後半)の事務所を茨木市に借りたが、すぐに池田市に引っ越した。

茨木市時代は昔からの友人に手伝ってもらったのだが、池田市に変わってからはほとんど自分1人で運営した。

池田は五月山や猪名川を抱える非常に古風な街で、引っ越して僕はすぐに気に入ってしまった。
それは最初の結婚が終わる寸前だったのでなお印象的だ。

まあそれはさておき、五月山には「大文字焼き」というものがあり、毎年8月の後半になると、五月山の2ヶ所で大文字焼きが行なわれた。

僕はそれを初めて猪名川の河川敷から眺めた時には妙に感動してしまい、遅くまでずっとその火を見つめていたものだ、
それは男性ジェンダー特有のロマンティシズムだろうが、ま、それもいいか。

昨日書いた真如堂そばの借家から見た本家・大文字焼きよりも、僕にとっては五月山の大文字焼きのほうがなんとなく異世界気分だった。★

結構ロマンチック(ネットより)

2016年7月12日火曜日

印象的だったあの街①京都・真如堂あたり

グルメシリーズもなんか狙い過ぎな気がしたので、もっと手軽な「印象的な街」シリーズを今週はやってみる。

僕は24〜5才あたりに、京都は左京区の真如堂の近くに住んでいた。
その少し前に始めた「さいろ社」(独立系出版社)の編集仕事はやりがいはあったが、このままで自分はいいのか、本当に医療や教育の社会問題を取材・ルポして一生食べていくのか(その頃やっと食べていけるようになっていた)、ずっと悩んでいた。

さいろ社の仕事は続けつつ、なんとなく自分を見つめるために(あるいは逃避するために)、京都の真如堂近く(京大の裏です)に、木造2階建ての2階すべて(3部屋あった)を借りて、さいろ社の松本君に大迷惑をかけながら自分を見つめ続けた。

近くに京都らしい銭湯があった。

高校の時の友人のアベくんが3ヶ月くらい転がり込み、その後インドに旅立っていった。

僕はそれでも、イマイチ自分のやりたいことがわからなかった。

空いた時間は、近くの真如堂をはじめとして、哲学の道や銀閣寺などをいつも歩きまわった。
さいろ社で取材した長野県の看護師さんたちを、哲学の道に案内したのもよい思い出。

そんなのを積み重ね、やがては茨木市にさいろ社は移転し、その後ぼちぼちと不登校の子どもたちへの訪問支援活動を始めたのだった。★

哲学の道の猫https://retrip.jp/articles/7098/より










2016年7月9日土曜日

パリのバゲットサンド〜うまかったシリーズ④

僕は2003年に飼猫の下半身不随猫トロオちゃんを亡くし、そのこと自体は悲しかったものの、トロオちゃんのケアのために旅行できない(トロオちゃんは自力で排尿排便できなかったので僕がお腹を押して介助していた)という生活から解放された。

その反動からか、阪大臨床哲学時代の恩師・本間先生がパリに留学したことを頼って、1人でパリに旅行してみた。
2週間強パリの本間先生宅にいたのだが、昼間は好き勝手に1人でブラブラしていた。

パリには何でもあるが、すべてが微妙にお高く、ランチのたびにレストランに入る経済的余裕は僕にはなかった。
だから、街のあちこちで気軽に買えるバケットサンドを毎日食べていた。

主にトルコ人らしい人々が経営する、日本の駄菓子屋みたいな佇まいの店(1畳くらいのスペースにごちゃごちゃモノを陳列している)で、300円くらいのバゲットサンドを買っては歩きながら食べた。

なんといってもパン自体がおいしい。おそらく寒くて乾いた気候が発酵させる生地自体がすごいんだろう、どこで買ってもパンはおいしかった。同じ味は、日本では出会わない。

もちろん日本のようにマヨネーズもつかっておらず、オリーブオイルすら使ってないものもあったが(要するに挟んで胡椒とバジルだけ)、それでもおいしかった。

パンと生ハムとチーズは、どこで食べてもおいしかった。それは値段ではない、気候がつくりだすもので、たとえば日本の味噌とか醤油とかうどんなんかも、日本の気候がなければ同じものはつくれないんだと思う。★


こんな感じでした。(ネットから)






数少ないパリの写真(撮影・本間先生)。上がパリのパッサージュ(商店街)、下がどこかのレストラン。
いずれも初期デジカメなので画像荒い。僕は脳出血で倒れる前で少し太り気味。いい思い出です。





2016年7月7日木曜日

宇治の天下一品

昨日、王将のことを書いていて思い出したのだが、僕は宇治のスケート場で大学時代アルバイトをしていて(チケット切りから靴だしまで何でもした)、その帰りにいつも「天下一品」のラーメンを食べていた。

当時は天一も今ほどの全国展開ではなく、京都に10数店あった程度だったと思う。
本店は北大路にあったが、各店微妙に味が異なり、今の天一よりもスープの味がだいぶ薄かった。

ネギがてんこ盛りなのは今と同じだが、「トンコツ」の意味を周知したのは天一だったと思う。
繰り返すが、あの頃のスープはもっと白く、もっと九州ラーメンに近かった。

つまりは美味しかった。

あの原体験が僕には残っており、現在のコモディティ化した天一の味にはなじめず、何年か前に訪れた博多で食べたラーメンのほうを当時の山科の天一と重ねあわせたものだった。

博多のトンコツラーメンと違うところは、博多が生姜でアクセントをつけるのに対し、天一はにんにくがポイントだった。味としてはやはり博多の屋台ラーメンが美味だが、80年代の天一も訴求力はあったなあ。★

いまの天一(小野店)。当時のラーメンはこんな色じゃなかった。



2016年7月6日水曜日

山科の王将のニラレバは美味かった〜美味かったシリーズ②

僕は学生時代、まわりの喧騒から離れたくて、しばらく山科の小野というところで住んでいた。

近所に橘女子大はあったがまったくの田舎で、原チャリで少し走るとやっと王将にぶつかるという、郊外の郊外の郊外、みたいなところだった、当時の山科は(今は地下鉄まで走っている)。

その、小野の王将でよくニラレバ炒めと餃子を食べたのだが、高校までは王将のない四国の田舎町で過ごしたため、その見事な王将ぶりに僕はやられてしまった。

週2ペースで通っていたと思う。当時は近くに「天下一品」もあって、天一週2、王将週2で食べても全然ウェッとならなかったし、太りもしなかった。やはり20才あたりの代謝量はすさまじいものがある。

もやしとニラがぱっと炒められ、そこに素揚げしたレバーが入る。僕は高校まで瀬戸内海の魚をほぼ週5で食べる生活だったので、そのレバーは美味しかった。もちろん瀬戸内の魚も美味いのだが、あの大雑把感が19歳あたりの僕にはマッチしていた。

大学の文芸部で接する人間関係、日々読む純文学類、いやいや読む経済学の専門書、大友克洋や大島弓子などのマンガ、それらといっしょになって、王将のニラレバは僕の20才手前の生活に色付けしています。★

ここ。なつかしいわあ。

2016年7月5日火曜日

「宮崎県の鰻」は美味かった

先週は「魅力」シリーズで1日の気分転換をはかったので、今週は「美味かった」シリーズをやってみたい。

あれはもう25年くらい前になるか、九州旅行マニアの弟が運転する車に乗って、九州(大分〜宮崎〜鹿児島〜熊本)2泊3日強行突破旅行にでかけた。

その際、宮崎県の国道10号線沿いだっただろうか、そのあたりで食べた鰻屋の味がいまだに忘れられない。

関西風に焼く鰻重は、より焼き方と素材の自然さが徹底していて、旅先のあらゆるところで食べた鰻の中で、宮崎県の鰻が僕の口には最も合っていた(2番は高知・四万十川の鰻)。

僕の鰻の原点は、60才で過労死と飲み過ぎで死んでしまった父が、休日に時々炭火で焼いてくれた子どもの頃のあの味だったと思う。
あれも、四国の天然鰻+炭火+自家製タレの完ぺきな組み合わせだった。

カリカリな歯ごたえに、まったく臭みのない鰻、そこに少量のタレと山椒で包み込まれる。
父の鰻も、宮崎の鰻も、すごかった。

高価なわりには臭みが強いここ15年ばかりの鰻は、僕は食べる気がしない。また、若い頃のように、完ぺきな鰻を求めてあちこちさまよう気力もなくなってしまった。
その結果、「宮崎の鰻」が神格化されている。でも、あれは本当に完ぺきだったなあ。★


食べログから拾った宮崎県にある「うなぎのかわの」の写真。
25年前のあの美味は、ここだったかもしれないし、他所だったかもしれない。

2016年7月2日土曜日

ヴィスコンティの魅力

ほとんど「魅力」シリーズ化してきたが、この「魅力探し」は自分のルーツ探索にもつながるとこの頃は感じ始めた。

50才になって長い時間の映画を見る体力がまったくなくなってしまい、映画そのものが本当に遠くなった。30分のアニメさえほとんどがしんどく、最近見ることができたドラマは、例の「とっとテレビ」くらいかな。

とはいえ、10代20代の頃は僕は映画マニアで、いまのようなミニシアター系の佳作がたくさん上映される時代とは違い、テレビで名作を見ることができた。

ヴィスコンティの『山猫』も『地獄に堕ちた勇者ども』も『ベニスに死す』も僕はテレビで見た。
その勢いで、『ルードヴィッヒ』を映画館に観に行き、お尻が痛いなか3時間も座って凝視した。

ホンネではまったく感動しなかったのだが、なんというか、あの世界観をつくりきる情念というか、美意識というか、欲望というか、どの作品にもそうした念のようなものが宿り尽くしており、あれらを20代前半までに見きっていて、本当によかったと思う。

ラジオで淀川長治さんが、熱く熱くヴィスコンティを語るのもよかった。そういえば、ヴィスコンティというよりも、ヨドチョーさんの紹介のほうが好きだったかもしれない。キューブリックの『2001年宇宙の旅』の魅力(冒頭の類人猿シーンをヨドチョーさんは10分以上に渡って語り尽くした)も、僕はヨドチョーさんに教えてもらった。★

ジトーっとした視線。これぞヴィスコンティ。

2016年7月1日金曜日

ピョートル・ヴェルホーベンスキーと首猛夫〜『悪霊』の魅力

今日スタッフと話していて、
「なぜ田中さんはそんな感じなんですか」
という質問があった。

そんな感じとは、僕の日々の振る舞いがドライというか割り切っているというか人間関係を大切にしていなというか「悪魔的」というか、そういうスタイルでなぜ日々をやりくりできるのかということなんだと思う。

文章でしか僕を知らない人は、文章と現実のギャップに驚く人が多く、
「現実の田中さんに会わなければよかった」
と言われたことも何回かある。

それだけ、僕はどうも何か「変」らしい。

意図して割り切っているわけではないのだが、どうも 根本的「信頼」のようなものが、「土台」として僕にはないのだそうだ。

その原点を考えると、やはり、ドストエフスキー『悪霊』に出てくるピョートル・ヴェルホーベンスキーと、埴谷雄高『死霊』に出てくる首猛夫に行き着く。

この両書を読んだことがある人はもはや少ないだろうが、僕は高3(悪霊)と大学1年(死霊)で読み、決定的に影響を受けた。

革命がテーマである両書の、最大のキーパーソンである2人は、社会や集団を徹底的に撹乱して最後は敗北していく。
そのあり方が、10代後半の僕にとってはものすごくカッコよかった。

それこそ「ロック」だった。
もはや誰もわからないかもしれないが、僕の原点の一つなのです、サリンジャーのシーモア・グラスとともに(シーモアはまったく違うタイプ)★

亀山訳『悪霊』。旧訳も渋い。