おともだちNPOの悪夢


■「おともだちNPO」

ここでいうNPOはボランティア型NPOではなく、売上1,000万円以上あるいは3,000万円以上はある事業型NPOのことを指す。

みなさんがぱっと思い浮かぶ代表的NPOは少なくとも1億円以上の売上はあるが(それでも中小企業ジャンルの「小」の「小」)、ここでは売上数千万円以上で複数の事業を運営するNPOを事業型ということにしておこう。

そんなNPOたちが東日本大震災以降、「つながり」概念をもとにすぐにつながって、数百万円から数千万円の事業(民間CSR的事業から行政委託事業まで)をこなしている。

貧困問題と階層化が明確になったここ数年では、「貧困」支援をキーワードに、有力な事業型NPOがつながり、バウチャーやらソーシャルワークやら、日本に輸入されて目新しいビジネス設計を使って事業を組み立てる。

僕の知っているところでは、兵庫県の某A市における6NPOが集った組織体がその一例である。

「バウチャー」と「ソーシャルワーク」という流行りが2大方針である同事業は、若いNPOたちの「階層社会をなんとかしよう」という思いが伝わってきて、一見実にソーシャルセクターしている。

けれどもその動きは実は、単なる「おともだちNPO」組織であり(利害面と関係性面で〜利益のシェアと「おともだち」という角度で)、高邁な理念にもとづいて「ではなぜその6団体なのか」という理由が説明されない。

■リーダーたちの勘違い

それはそれでいい。
現代の日本のNPOとはそんなもの、高邁な理念の裏腹に、自組織の生き残りのために「貧困」支援組織体をつくっているのだから。

そしてそれと似たようなことは、実は僕もしている(ここまでわかりやすくないが)。

ポイントは、現代日本のNPO=ソーシャルセクターが、旧来のリベラル、あるいは持続可能な社会構築の先端にいると、そうした事業に携わる人々(特にリーダーたち)が勘違いしていることだ。

静岡県立大学の津富宏教授も言うように(社会分野における、昨今の「エビデンス」に関する批判的考察)、ひとつのNPOあるいはおともだちNPOグループが、一事業でいくら結果(エビデンス)を出しても、それは全体の利益にはならない。

全体の利益はエリア(たとえば「関西」)全体、あるいは国家全体の取り組みの結果出るものだと津富氏は主著しているのだろうが(主論文はネットには未掲載)、現在ソーシャルセクター業界にみられる「おともだち」体質は、言葉では貧困の底上げと言いながら、実質は当該事業への参画NPOたちの各利益を追求しているに過ぎない。

■経済学・哲学理論の基本だよ

僕は、それはそれでいいと思う。
たとえば哲学者のドゥルーズが生きていたとしても、「動物の組織なら自分たちの利益に貪欲になって当たり前だ」とせせら笑うことだろう(/千のプラトー-上-資本主義と分裂症-河出文庫-ジル・ドゥルーズ/

が、いまの日本のNPOたちは偽善的である。

ドゥルーズのいうような欲望に忠実な組織ではない。
貧困支援とか虐待支援とか、タテマエばかり。そうした組織はそんな紋切り言葉を軽々しく言う。

その実態は単なる「中小企業起業家欲望」にすぎない。自組織が拡大し、自組織の従業員たちが肥え太ることが目的だ。

つまり、欲望する資本主義、特に現在主流になっている新自由主義は、そうした欲望資本主義のことである。

その実践例が日本の有力NPOの姿であり、現場スタッフはともかく、リーダーたちは、このような基本的経済学・哲学理論は知った上で発言・行動してほしい。(^o^)


NPOも所詮「戦争機械」

https://www.amazon.co.jp/千のプラトー-上-資本主義と分裂症-河出文庫-ジル・ドゥルーズ/dp/4309463428