「おしゃれNPO」が、虐待サバイバーチルドレンを隠蔽する


■実態は「居場所」的生活支援だが

「生活困窮」云々の長い名前をもった事業と予算が全国に広がり、下流階層の子どもたちをターゲットにした学習支援が現在広がっているようだ。

また、例の「子ども食堂」は、僕が別のところで書いた(貧困者は食べものを受けとらない~「子ども食堂」と貧困支援)時期を過ぎてからもさらに拡大し続け、各地で取り組みが始まっている。

日本が階層社会になったことは共有されないまま、子どもの貧困問題のみがクローズアップされ(子どもが貧困ということはその保護者たちが貧困だということだ)、子どもというある意味「弱者」をターゲティングして、社会構造全体を問わないのは、この国の小ズルさをというか「ホンネを見ない」文化をよく示している。

それはさておき、子ども食堂と並走して学習支援がこれほどブームになるとは、僕も少し驚きだ。

もちろん、学習支援という名目でアプローチして、実態は「居場所」的生活支援を行なってエンパワメントしているNPOを僕も知っている。

学習の前に、自らの寂しさのシェア、あるいは空腹を満たすこと、絶望を紛らわせることが優先されることは、誰が考えてもわかる。
世の良心的なNPOは、学習支援を隠れ蓑に、絶望と空腹を満たす支援を行なう。

■「学習」が入った時点で、真の貧困当事者の子どもたちはやってこない

だが根本的問題として、コンテンツに「学習」が入った時点で、真の貧困当事者の子どもたちはやってこない。

「勉強」というジャンルで用いられるさまざまな記号が理解できない。それら、教科の中での多くの単語がキャッチできない。意味がわからない。

もうひとつ、その手前の段階で、勉強することのメリットも実感としてわからない。それは、勉強のメリットを体験していない大人たちによって育てられたからで、大人たち(実の親や義理の親、実の親の愛人や近所のおばちゃん等)がそもそも勉強することの恩恵を体験していないので、その子らがわかることはない。

また、それら勉強の意味とメリットを適当にごまかして学習支援を受けたとしても、虐待サバイバーの子どもたちは、知的理解力がどこかで欠落している。

長期にわたる児童虐待(言葉の暴力やネグレクトが主流)を浴びせられると、子どもたちの脳の発育がストップすることがこの頃報告されている(たとえば杉山登志郎医師の「第4の発達障害等」)。

虐待により(虐待といっても毎日の怒鳴り声や食事の不提供が大半)、脳の発育がどこかでストップし、学習支援の場に放り込まれたとしても、大学生たちの言葉がまったく理解できない。

■「おしゃれNPO」が、虐待サバイバーチルドレンを隠蔽する

だから、貧困支援とは、目先の学習支援ではない。学習支援にマッチして大学まで行ける子ども若者たちは当然いる。

だがこれは、どんなマイノリティ階層にもいるマイノリティ中のエリートであって、皮肉にもこの層の人々は、権力層とつながっていき、真のマイノリティ当事者(ここでいう虐待サバイバーチルドレン)を潜在化させていしまう(このメカニズムは、ポストコロニアル哲学のG.C.スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』みすず書房、等に詳しく記述されている)。

僕は、高校内居場所カフェなどを運営していると、この真の虐待サバイバーチルドレンがいかに普通に潜在化させられているかを実感できる。

そして、世の「おしゃれNPOたち」が、こうした真の「サバルタン・チルドレン」問題への想像力を失った人々(エリート若者層)であり、こうしたおしゃれNPOたちの存在が、逆説的に虐待サバイバーチルドレンを隠蔽しているという皮肉な事態にぶつかる😊


ガヤトリ・C・スピヴァク(第28回京都賞受賞者)からのメッセージ