ソーシャルな人々が貧困コアを隠蔽する


■貧困コア層が、ソーシャルビジネス・セクターな人々には見えない

僕はここ半年「劣化する支援」という、いわば批評の中間支援的自主イベントを開催してきた。
明日はその4回目が島根県松江市で開催されたりする(劣化する支援4@松江 都市と地方の若者支援/批評の中間支援)。

そのなかでいろいろな発見があったのだが、ここに来て確信を抱き始めたのが、

「社会起業家たち、ソーシャルビジネスな人たちが、貧困コア層を隠蔽する」ということだ。

御存知の通り、日本はここ10年ほどで完璧な階層社会となっている。一億総中流の時代は終わり、下流層4割・中流層4割・上流層2割の社会構成となった。

それは、非正規雇用4割というデータと合致しておりおもしろいが、この下流層4割の人々のさらに下流層(僕はこれを貧困コア層と名付けている)の存在を、気づけない人達がいる。

それは、何もエグゼクティブな人々ではなく、自称貧困支援者と名乗っているNPO等の「ソーシャルセクター」な人々なのだ。

彼女ら彼らは日々貧困の子どもたちの学習支援や子ども食堂を運営している。
それらサービスの受給者は多く、ソーシャルセクターな人々は真摯にそうした人々を支援している。

だから、誰が悪いというわけでもないのでが、下流層の拡大は、下流層内の分断化をおそらく生み出している。
つまり、学習支援や子ども食堂支援というリソースを享受できる貧困層と、そうしたサービスは他人事だと認識する貧困層中の貧困層(これを僕は貧困コア層と名付けている)のふたつに分断されているように思えてきた。

そして、この貧困コア層が、ソーシャルビジネス・セクターな人々には見えない。

■階級社会に向かっての正統進化

一方で、見えている人たちもいる。

それは、児童相談所の職員であったり、貧困コア層の子どもたちと事業を通して出会ってしまうNPOの人たちだったりする(僕が主宰するofficeドーナツトークも)。

そうした「見えている人たち」にとっては、下流上部層の人々のありよう(子ども食堂や学習支援を受けることのできる人々)は、応援したいことではあるけれども、貧困や虐待のコア層ではないことから、ついつい後回しにしてしまう。

ソーシャルビジネス・セクターな人々にとっては、貧困コア層を見ることができない(貧困上部層への対応で精一杯)ことから、2千万人規模に膨れ上がっている可能性のある貧困コア層を後回しにしてしまう。
後回しというか、その存在そのものが見えない。

誠実なソーシャルビジネス・セクターな人々を支える日本的ノブリス・オブリージュが、逆に、日本の階層社会の底部で人間らしい残酷さ(虐待やDV等)を日々実践する貧困コア層を見えなくしてしまっている。

ノブリス・オブリージュなソーシャルビジネス・セクターな人々は、支援の現場で日々、貧困上部層を支えている。その取組がやがては、貧困コア層に届くかもしれないと、一部のソーシャルビジネス・セクターな人々は願ってもいる。

が、届かない。
皮肉なことに、ソーシャルビジネス・セクターな人々のなかには、下流上部層出身の人々もおり、そこでの努力譚・成功譚が、学習支援に対するさらなる思い入れに発展する。

努力すれば報われる。そう思うことができるのは、努力できる環境がたまたま揃っていた下流上部層なのだ。
貧困コア層は、勉強の意義も理解できないし、クーポンの意味も親子でわからないし自分たちとは関係ないと思っている。

だからこその、貧困コアだ。

社会企業家たち、ソーシャルビジネスな人たちはこうした層と出会っていない。
この事実こそ(貧困層同士の分断、社会問題を自認する人々が社会問題のコアと分離している)が、階層社会のコアである。

この積み重ねがやがては我々の社会を本格的な「階級社会」(3世代以上に渡って同質世代が続く)に導く。
その意味では、階級社会に向かっての正統進化が始まっている。😊


圧巻。100人の社会起業家が、これからの100年を考えた。起こそう #コレクティブ・インパクト
圧巻か? 上記事の写真より。